History
かれこれ30年近くも続けていると何事もそれなりの分量の歴史になるもんだなー、と書いてみて実感しとります。
バンドの母体〜創世期
ドラムスの高橋と当時ギタリストだった岩永が高校時代に中野(b)と石坂(vo&p)と結成した
「Labour Union」というグループがきっかけとなる。
当時は石坂のバラード曲と岩永のファンキーなオリジナルに加え、石坂の傾倒するレオン・ラッセルの曲もやっていた。
だが、大学進学後、石坂が脱退したことにより、一時解散。石坂は別バンドを結成する。
その後、高橋がC大学のサークルで私と出会ったことにより、新たなバンドが結成される。
私が石坂と入れ違う形で結成されたバンドが都市航海の母体となる。
この時のメンバーは中出(vo&g)岩永(vo&g)中野(b)高橋(ds)の4人。
とりあえず、「Mental
Home」として高田馬場の「Big Box」でデビューを果たすが、
その後すぐに「カルチェ・ラタン」に改名。
軽井沢合宿を経て、オリジナル曲を増やし、大学を中心にライヴ活動をする。
またこの頃、中野と同じ大学だった福原のバンドとも交流を持ち、
同バンドの八木、イチコさんとも知り合い、その後のファミリーの母体となっていく。
ところが順調に見えたバンドも、ある日、中野が脱退宣言。
活動はわずか一年あまりで終止符を打つ。
すでに「都市航海」とバンド名を代えることになっていた矢先の脱退劇だった。
第1期都市航海
とりあえずベースなしで3人で再スタート。
岩永のJ大学の軽音楽同好会に入り、以後、大学時代はここを練習場所とする。
また初めはベースはヘルプであったが、以前知り合った福原を正式にベースに迎えることにする。
同時に同大学に新入生で入ってきた土屋をキーボードとして迎え、初めて5人編成となる。
また、この頃は女性ヴォーカルが欲しい時はイチコさんが加わることもあったし、
曲によって八木がスライドギターで参加したこともあった。
さらに土屋の加入により、彼の同年生の同サークルの仲間と知り合えたり、
また彼の友人の石田を介したS大学の音楽仲間たち・・・とその輪はどんどん広がっていった。
余談ではあるが、これら一気に広がっていった音楽仲間とは
後にサークルの枠を離れ、音楽ファミリー的な意味合いを深めていくことになった。
さて都市航海は順調に活動を続け、吉祥寺のYAMAHAを拠点にイベントに参加したり、
やはり吉祥寺のDACでは月一回の定期ライヴを試みたりもする。
またコンテストなどにも積極的に参加、特にTBSのフレッシュ・サウンズ・コンテスト北関東大会で優勝。
同大会の関東甲信越大会で3位と、惜しくも2位まで参加の全国大会行きを逃した。
さらにA−ROCKでの受賞、その他良く覚えていないイベントでの受賞、
ポップコンでの地区大会での最優秀演奏賞受賞により初めてバックバンドを勤めるなど
メディアに対してもっとも積極的にアプローチした時期でもあった。
また活動の後半にはイチコさんを中心に女性コーラス隊も加えられ、
最終的にはイチコ&カズノのコーラス隊で落ち着き、東京湾ガールズと命名される。
この時のメンバーは中出(vo)岩永(g)福原(b)高橋(ds)土屋(kbd)with東京湾girls(イチコ&カズノ)である。
しかし、2年半ほどの活動後、土屋が脱退状態になり、このメンバーでの活動を終える。
第2期都市航海
土屋の後任キーボードとして迎えられたのは、やはりJ大学の軽音楽同好会にも在籍していた柴野であった。
すでに社会人となっていたため、練習は渋谷のYAMAHAで行っていた。
最終的には土屋と柴野が入れ替わる形で活動が再開される。
初期は第1期の流れを引き継ぐが、東京湾girls解体後の後半は、逆にコーラスを意識しないことで、
しかも私が音楽的嗜好の一気の広がりを見せていた性もあり、オリジナル曲は圧倒的に増えた。
ライヴの回数自体は減ったが、特に吉祥寺の「Silver Elephant」では何度となく自主コンをし、
「Loft」「Gasoline Alley」「Big Box」などでも精力的にライヴを行う。
またこの頃は結婚式などのイベントも多かった。
さらに2度ほど合宿で初めて自分達で録音したこともあり、かなり充実していた時期と言える。
一時期は、J大学時代のヨーマを加え、ツイン・キーボードにして合宿などもした。
しかしうまく行かず、ついには福原が脱退表明。
永く続いた体制だっただけに、しばらく活動休止状態に。
その後ベースに当てがないことから、岩永がベースになり、ギタリストを加えることで話が進み、
以前合宿にも来てもらったことがあり、よくバンドを知っている設楽が正式に加入することになる。
ところが、新メンバーで活動開始後すぐに、柴野が海外赴任することになり、またまたキーボード不在となってしまう。
第3期都市航海
3代目キーボードは、今までの大学時代の知り合いというパターンとはまったく違う流れから知り合った矢島だった。
彼の加入によってバンドは明確に方向付けられた。
彼のアレンジ力により、それまではほとんどやらなかったカバーをやることも増えた。
また彼の曲はそれまでのバンドにはなかったとてもポップなものだったし、
ライヴでは見る側をより意識するようになった。
何より楽曲がガチッとまとまったものになったことがもっとも大きな変化だった。
初めはコーラス隊を再度加えようとするがうまくいかず、最終的にはイチコさんも正式にはずれる。
この時のメンバーは中出(vo&g)設楽(g)岩永(b)高橋(ds)矢島(kbd)で、
以後、この5人での活動はこれまででもっとも長く10年近く続く。
この時期はなんと言っても初めて本格的に録音したCD制作と
それに伴う発売記念ライヴを2度行ったことは大きなイベントだった。
また結局は放送されなかったものの、MXテレビの番組収録も行った。
いずれにせよ、バンドが慣性の法則で黙ってても動く時期は過ぎており、
常にライヴか録音を目指す活動へと変わってきた時期でもある。
またこの時期にも高橋が知り合った元ジンタのミヤケンを加え、
ツイン・キーボードでライヴを迎えるはずが、直前で矢島が脱退。
ある意味とても明快だったバンドの時代は終わりを告げる。
第4期都市航海
ミヤケンを加えた5人で続けようとするが、結局4人に。
4人になったことは、一度原点に帰ったといえる。
最初にギターの弾き語りがあって、それに曲にあわせて伴奏がついて・・・。
そしてこれを機に、岩永プロデュースの元、録音を決行。
そのため2年以上、活動は休止状態となる。
活動再開後は、しばらく4人で練習を重ねるが、やはり音をより厚くしたいということで、新たにkbdで森園子が加入。
ライヴ活動も再開する。
いたる現在。
「無理をしない」「力の抜けた」旧メンバーに華が加わり、今後へ向けて新たな可能性が広がったところである。
おわりに。
期を分けるにあたってお気づきの方もおられると思うが
全てキーボードの交代が期の分け目になっている。
全くの無意識だったのだが、なんでだろう?
やる曲がその都度1からやり直しとなったのは事実なのだが・・・。
最後に・・・文中は全て敬称略です。
また他にもバンドに係わってくれたけど、名前が出なかった人はたくさんいます。
深い意味はありません。あしからず。