すげーぞ!日本!!アジアカップ2004

 

 

少し前から「フル代表よりオリンピック代表(U−23)の方が強いんじゃねー?」という声を何度か聞いた。

確かに先のvsベネズエラ戦までしばらく得点はできなかったものの、U−23は良いチームに仕上がった。

ディフェンス以外はレギュラーを固定せず、競争心を常に煽りながら、山本監督が選手の潜在能力を存分に引き出した結果だと思う。

母体となった3年前のワールドユースから見ると本当に良いチームに仕上げたと思う。

しかしそれでもU−23はフル代表にはコテンパンにやられるだろう。

なぜなら良いチームが強いチームとは限らないからだ。

言い方を変えると、強いチームはチーム状態が良くなくても勝つ力がある。

今回のアジアカップはある意味それを証明しているのではないか。

アジアカップを見ていて、日本代表は本当に強く、たくましくなったと実感している。

 

それにしても今回アジアカップで日本に敗れたチームの監督のコメントはとても興味深い。

「あと少しの運がなかった。」「良い試合をした。」「もう一歩だった。」「互角に戦えたことが収穫。」「経験の差が出た。」

これらは10年前くらいの日本代表が良く使っていた言葉だ。

オマーンやヨルダンやバーレーンが少し前の日本代表と重ねて見えた人は案外多いのではないか。

あの頃の日本は良い試合はしていた。が、惜しいところで負けたり、同点にされたりした。

そして結局は負けていた。

もう少しのところで負け、ほんのちょっとの運で負けたように感じていた。

だが、その「もう少し」は果てしなく遠い「もう少し」だった。

そして何度も何度も「もう少し」で負けた。

またほんのちょっとの運のなさはどの敗戦にもあった。

審判の判定に泣いたこともあったし、シュートがバーに当たって負けたこともあった。

 

今回のアジアカップは?

会場は完全にアウェイ。審判も完全に相手寄り。

準々決勝の「vsヨルダン」戦はグラウンドの悪いところで日本が1本多くPKをやらされたのも笑ったが、

それにも負けないくらいひどかった、準決勝の遠藤の退場は今までに見たこともない最たる「誤審」であった。

それでも日本は勝った。

運もなく、良い試合ではなかったかもしれないが勝った。

それは「強い」からである。

運を理由に負けたらやはり弱いのだ、と確信できるのである。

 

 

 

 

 

横浜Fマリノスが昨年のファースト・セカンド制覇に続き、今年のファーストの3シーズン連続優勝を果たした。

昨年完全優勝した時の岡田監督の言葉は興味深いものだった。

Jリーグを見るまでもなく、オリンピックを含めてスポーツは科学的に捕らえるのが当たり前になっている。

そして戦術はデータを集め、論理的に分析され、練られていくのが当たり前になった。

ほんの十数年前まで、スポーツが根性論だけで語られてきたことが嘘のような進歩ぶりだ。

マリノスの優勝もそうした科学的なケア、論理的な分析ももちろん大いに役立ったことだろう。

しかし岡田監督が優勝した時に語っていたのは

「最後まで諦めない根性、努力といった、目に見えない精神力が本当に大切だということを選手から教わった。」というようなことだった。

確かにマリノスは土壇場で奇跡的に逆転したり、10人になりながら勝利をもぎとったりしてきた。

決してぶっちぎって優勝したわけではなく、1試合1試合をギリギリのところでの勝利を奪い取ってきた。

その「紙一重で勝つ」のは理論でもなんでもなく、「相手より上回るほんの少しのがんばり」であるということなのだろう。

そして思い起こせば確かにそれを裏付けるシーンはいくつも上げることができるのだ。

もちろん科学的で論理的な部分も必要である。

大事なのはそれだけでは勝てないということ、それらの上にさらに精神的なものが必要だということを

Jリーグ発足以後10年を経て、やっと学んだことのように思うのだ。

「器用だがどこか自信無さげ」というそれまでの日本サッカーに、精神的なタフさが加わったのだ。

Jリーグ開幕当初、日本と対戦した代表選手やJリーグにやってきた外国人プレイヤーは「技術は申し分ない。後は経験だけだ。」と揃って口にした。

その「経験」という器を精神的な強さで埋められるようになったと言い換えられるかもしれない.。

「伝統」という1ページをやっと書き綴ることが出来たのかもしれない。

 

もうひとつ、10年前と比べて思うことがある。

Jリーグが開幕した年に1994年ワールドカッブ最終予選の、いわゆる「ドーハの悲劇」があった。

カタールのドーハで行われた最終予選、今まで何度もテレビで流れたロスタイムで同点にされたシーンは日本の左サイドからだ。

最終予選を前に左サイドの都並が怪我をした時、おそろくは多くの人が「やばい」と思ったに違いなく、

今思えば、それが現実のものになったという考え方もできる。

だが、その時、都並の代役として、当時日本代表監督だったオフトが選んだのは、サイドが本職ではない勝矢や三浦泰だった。

今ではそんなことは考えにくい。

左サイドにこだわらずとも、わざわざコンバートせずとも、ひとつのポジションに「あいつはどうだろう?」と思える選手は2.3人すぐ浮かぶ。

そしてそれほど力の差があるとも思えない。

今の日本は代表になっても遜色ない候補者はドーハ時代とは比べ物にならないほどたくさんいる。

今回のアジアカップの代表にもレギュラーと控えの差はないし、選ばれてもいいのではと思える選手は他に何人もいる。

しかも今回は中田英・小野・稲本・久保といった、つい最近までレギュラーで、しかも中心だった選手が参加していない。

オリンピックが終わればU−23世代の何人かもフル代表にくいこんでくるだろう。

サッカーの強い国になるのは、レギュラー11人だけ、もしくは代表だけによるものではないということを改めて感じた。

行き着くところは小さい子供たちからの裾野を広げることこそが大事で、

ラモスやカズにあこがれてサッカー選手になった選手たちがすでにJリーグでプレイするようになったことが大きいのだ。

今選ばれている代表選手だけではなく、日本のサッカー界全体の底上げがなされた結果だ。

サッカーが日本という国に、まだまだうっすらかもしれないが、根付き始めた結果だ。

 

多くのアジアのチームは日本を目標に、もしくは打倒・日本で挑んできている。

そんな大会で勝ち続けることは並大抵のことではない。

今大会で日本は経験を積んだのではない。

日本はすでに勝つための経験は積んできているのだ。

その経験が今回の大会で花開いたのだ。

一人少なくなってもあわてなかった。

逆にバーレーンは一人多くなってから動きが緩慢になった。

PKで2人最初にはずしても落胆しなかった。

逆にヨルダンはすでに勝った気になっていたように見えた。

経験のあるチームは知っている。

笛が鳴るまで何らが起こるかわからないことを。

ドーハでの経験を知る者は今の代表にいないが、

あの悔しさはJリーグを通じて伝えられてきたものに違いない。

 

決勝の相手は地元中国。

すでに今大会、相手チームがどこであってもアウェイで戦い続けてきた日本。

審判の誤審まがいの相手贔屓にもめげずに勝ち進んできた日本。

優勝するっきゃないだろう。

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