日本代表とワールドカップ 〜その2 Jリーグ開幕前から最終予選へ 〜

 

 

1994年ワールドカップ・アメリカ大会・一次予選日本ラウンドの最後の相手は強敵UAEだった。

日本はタイに「1−0」で勝った後、バングラデシュ、スリランカという組しやすい相手に難なく勝利していた。

日本と同じく、UAEもここまで全勝で来ており、UAEラウンドのことを考えると、ホームでぜひとも勝っておきたい相手だった。

結果は2−0で日本の完勝。中東のチームにも勝てる時代が到来したことを告げた勝利。

2得点ともコーナーからの得点ではあったが、セットプレーからの得点は均衡した試合では重要。むしろそういう得点は喜ばしかった。

1点目はキャプテン柱谷、2点目はアジアカップのファイナルでも決勝点を奪った高木だった。

柱谷はこぼれ球を押し込んで得点を決めた時、怪我でスタンド観戦をしていた北沢にガッツ・ポーズをして見せた。

高木はヘディングを期待されながらも結果がなかなか出せずにいたが、この試合で難しい後ろ向きのヘッドを決めてみせた。

これで日本は4試合で得点16、失点0というすばらしい成績で1次予選の前半を終えた。

UAEとの試合後、柱谷の言葉は力強かった。「僕らはアジアのチャンピオンです。負けるわけにはいかないんです。」

この段階で私はすでに涙ぐんでしまっていた。まだまだ予選は長く、厳しい戦いが待っていたというのに…。

 

UAEラウンドはいろいろな意味でアジア・チャンピオンとして迎えられた。

まず用意してくれる練習場はコロコロ変わった。

何時間もかかる遠い練習場に案内されたあげく、練習を始めるためにはグラウンドにばらまかれた(?)釘を拾わねばならない時もあった。

練習場がなかなか決まらず、ホテルに缶詰状態になり、選手たちがストレスを溜めてしまうこともあった。

しかしながらこれらの出来事は日本を初めて強敵として認知してくれた証明でもあった。

そしてこの時以降、日本代表は韓国と同じく、アジアでのアウェイでは数々の妨害に合うことが運命づけられた。

 

UAEでの1戦目はやはりタイ。そしてこの試合も同じように苦しんだ。井原の退場も痛かった。

それでも日本ラウンドと同じく、1−0で勝利した。その「1」は堀池のミドルだった。

セットプレイ以外でのディフェンダーによる得点だった。また一歩ワールドカップに近づいた気がした。

続く、格下バングラデシュには大苦戦。しかもこの予選で初めての失点をしてしまう。

前の試合でレッドをもらった井原が欠場したことも響いたかもしれないし、UAEでのアウェイの洗礼も影響したかもしれない。

それでも不恰好ながらも4点を奪った。苦しい試合でも落とさない力強さがあった。

続く同じく格下のスリランカ戦では、「ディフェンダー」井原が前回欠場の鬱憤をはらす豪快なミドル2発を足がかりに圧勝。

最後に真のアウェイ戦であるUAE戦を残すのみとなった。

この時点ですでに日本は得失点差で大幅にUAEを上回っており、よほどの大敗を記さない限り、一次予選は突破できた。

UAEはすでに予選突破は難しかったが、勝たねばならないホームでの試合。一矢報いたいはずだった。

そしてホームでのUAEは強かった。当然のように日本は初の先制点を奪われる。

思えば、初めて真のアウェイに触れたようなものだ。このまま負けてもおかしくない状況である。

今後のための勉強になった、ですんだ試合でもあったろう。

しかし、日本は負けなかった。アウェイの妨害で体調不十分だった福田に代わり入った澤登がすばらしいミドルを決め、同点に追いついた。

NHKのアナウンサーは叫んだ。「負けない日本!」「負けない日本!」と。

そして私はまた鳥肌がたち、涙ぐんだ。

それでもさらに予選は続くというのに。

 

1次予選を圧倒的な強さで突破した日本はJリーグ開幕を盛り上げることができた。

そして最終予選突破に大きく胸を膨らませながら、Jリーグを楽しむことができた。

改めてJリーグが開幕した時の喜びを思うと、この時期はサッカー・ファンにとっては至福の時だった。

代表の躍進は今後末永く続けであろうJリーグとワールドカップ初出場へ向け、多くの期待を抱かせてくれた。

今までの日本代表になかった力強い勝ちっぷりに、初めてワールドカップ出場も夢じゃないと思っても許されるはずだ。

いくつかの心配事も何とかしてくれるという楽観ムードにかき消されたとて仕方がなかった。

その心配事は…ひとつはJリーグで優勝候補とまで言われた浦和レッズがダントツの最下位でエース福田も絶不調に陥ったこと。

ふたつめはファーストステージでアントラーズに優勝をさらわれ、セカンドはぜがひでも優勝すべく強行出場したヴェルディの都並の怪我。

さらに、日本代表はもちろんワールドカップ出場は経験ないが、それはオフトも同じだったこと。

最終予選を前に行なわれたアジア・アフリカ選手権で日本がコートジボワールに勝ったことで不安な要素はすべて否定された。

 

1993年10月、日本はサウジアラビア、イラン、北朝鮮、韓国、イラクと最終予選を戦うべくカタールのドーハに入った。

 

〜以下近々続く

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